怒りっぽい人にこそ「嫌われる勇気」はピッタリの本だと思う
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最終更新日:2015/06/30
言いたいこと
こんにちは、ヨッシーです。
怒りっぽい性格って、色々と損をすると思います。
マイナスなイメージを持たれたり、関係をギクシャクさせてしまったりと良いことは一つもありません。
かくいう私も怒りっぽいタイプで、そのせいで関係がギクシャクすることも多く、治すために色んな本を読むことがあります。
そんな私が、最近読んでビビッとくる1冊に出会いました。
「嫌われる勇気」という本で、アドラー心理学というものをベースにした本なんですけど、八方美人な性格を治したくて買ったんです(笑)。
そんな本で1番響いたのは、自分らしさについての部分ではなく「怒り」という感情に対しての部分でした。
これが、怒りっぽい私の考えを180度変えるほど驚く内容だったので、その部分に関して少し書きたいと思います。
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怒りは捏造
この本は、アドラー心理学を学ぶ哲人と、コンプレックスだらけの青年が、「人は変われる」ということを軸に話を展開させていきます。
本の進行は会話形式なので、目の前で二人の会話を聞いているのような感じですね。
その中にこんな会話のやり取りがあります。
青年:昨日の午後、喫茶店で本を読んでいたとき、通りかかったウェイターがわたしの上着にコーヒーをこぼしてしまいました。
買ったばかりの、いわゆる一張羅です。カッとなったわたしは、思わず大声で怒鳴りつけました。
普段のわたしは、公の場で大声を出すことなどありません。しかし、昨日ばかりは店中に響きわたるくらいの大声で怒鳴り散らしてしまった。
怒りに駆られ、我を忘れてしまったわけです。
要するに、青年は怒鳴ったことは何か目的があったわけではなく、一瞬のうちに湧き上がる感情によって引き起こされたことだと言いたいわけです。
なるほど。
確かに怒りっぽかった当時の私なら、買ったばかりのお気に入りの服にコーヒーをこぼされたら、思わず怒鳴ってしまうと思います。
別に目的があるわけでもなく、カッとなりとっさに怒鳴ってしまった。まさにこの一言につきると思ったんですよね。
ここまでは完全に「青年!そうだそうだ!」となっていました。
しかし、哲人は怒りに駆られて大声でどなったのではないと言い、それをこう説明します。
哲人:あなたは「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、怒った」のです。
つまり、大声を出すという目的をかなえるために、怒りの感情を作りあげたのです。
あなたは大声を出す、という目的が先にあった。すなわち、大声を出すことによってミスを犯したウェイターを屈服させ、自分の言うことをきかせたかった。
その手段として、怒りという感情を捏造したのです。
そして、さらにこう続けます。
哲人:わざわざ大声をあげなくても、言葉で説明すればウェイターは丁寧にお詫びもしたでしょうし、きれいな布巾で拭き取るなど、しかるべき措置もとったはずです。
あるいはクリーニングの手配さえしてくれたかもしれない。しかも、あなたは彼がそうすることを心のどこかで予期していた。
にもかかわらず、あなたは大声をあげたのです。言葉で説明する手順を面倒に感じ、無抵抗な相手を、より安直な手段で屈服させようとした。
その道具として、怒りの感情を使ったのです。
「感情を捏造」「怒りは道具」そんなこと、今まで考えたこともありませんでした。
この部分、今まで感情のままに怒鳴っていた人にとっては、グサッと刺さるのではないでしょうか。
確かに、書いてあるとおり別に怒鳴らなくても相手には伝わるんですよね。
というより、むしろ怒鳴っていては相手に伝わらないし、萎縮させたり反感を買うだけです。
じゃあ今まで怒鳴ってきていたのは、カッとしたはずみじゃなく、面倒臭がって努力せず、ただ相手を力任せに押さえつけようとしていたことじゃないかと。
そう考えると、めちゃくちゃダサいなと思って恥ずかしくなりました。
ここまでたったの1ページです。そのたった1ページで私は、「ですよね〜哲人。」となりましたね(笑)。
恐るべし、哲人。
親御さんにも読んでほしい
よく子供を怒鳴る親がいます。明らかに怒鳴らなくていい状況でも、もっともらしいことを言いながら過剰に怒鳴っている親です。
別に、他所の子供の教育に対してとやかく言う気はないんですけど、実際さっきの通りなんじゃないかと思うことが多くなりました。
「子供が理解しないからついカッとなり怒る」なんてよく言いますけど、本当にそうなんでしょうか?
私は、子供はよく親をみていて理解していると思います。
現に、親以外の人がたくさんいる親族の集まりになると調子に乗りますが、あれは「誰かいるときは親が本気で怒らない」と思っているからじゃないでしょうか。
もしそうだとしたら、本当は怒鳴らなくても理解できると思うんですよね。
でも、親が面倒くさがって理解できるような説明の仕方をしないと。
そして「子供が理解しないからカッとなる」という言い訳を自分や周囲にしながら、子供を屈服させるために、少しでも自分が楽をするために怒鳴るのだと。
少なくとも、私の目にはそう映るようになりました。
ただ誤解しないでほしいのが、怒りという感情を否定しているのではなく、育児で疲れていてイラッとすることも理解できます。
そういうことではなく、怒鳴るということに関して、それは教育ではなく道具を使っているのと同じなのではないか、感情を抑制できないわけではないのではないか、ということを言いたかっただけです。
小さな子供に、力・知識・経験で勝る大人なら「怒鳴る」以外の方法をきっと見つけられると思いますから。
まとめ
なんか、後半がちょっとしんみりしてしまいましたね。
私はこの本を読んで、 「怒りという感情は道具でしかない」ということを知り、怒り感情をコントロールすることが昔よりも少しは上手くなった気がします。
こういう、本来の目的とは違うものを得ることもあるので、本を読むのはやめられません。
この本では、目的ではない部分に大きな衝撃を受けてしまいましたが、本の内容も十分に感銘を受ける内容だったので、ぜひ一読してほしい1冊です。
怒りっぽい方はもちろん、八方美人な性格を直したいという方にもおすすめですよ。では。
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